概要
名古屋の中心部を囲むように走る環状線です。降りなければ永遠と回りつづけてしまいます。名古屋駅、名古屋の栄えている部分を回り交通の発展につながっています。
年表
- 1970年(昭和45年)9月25日 : 最初の都市計画が認可[52]。この時点で都心環状線は分岐3路線を持った双方向通行式とされた[53]。
- 1974年(昭和49年)9月12日 : 名古屋市議会建設環境部会で本山市長は名古屋高速のうち可能な範囲で半地下、地下方式を採用することを表明[26]。
- 1975年(昭和50年)5月27日 : 名古屋市は市議会建設環境部会に名古屋都市高速道路素案を提出。この中で都心環状ルートについて3車線一方通行方式とすることを提示[29]。
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)5月25日 : 高速3号は都心環状ルートの明道町JCT - 山王JCT間を除いて整備計画から除外[56]。
- 1982年(昭和57年)7月6日 : 愛知県議会公社事業対策委員会で公社理事長は経営的な問題から整備計画の見直し(半地下、地下構造を再度高架構造化)を検討していることを証言[57]。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)4月26日 : 東別院出口 - 新洲崎JCT間の供用を開始[63]。また2号東山線が吹上まで延伸され丸田町JCTで接続。併せて当JCTと吹上暫定連絡路経由の都心小ループが完成[64]。
- 1989年(平成元年)6月16日 : 東別院入口を開設[65]。
- 1993年(平成5年)8月25日 : 東片端付近の用地買収の遅延から都心ループの完成が1994年度から1年遅れることを報道発表[66]。
- 1994年(平成6年)9月12日 : 名駅出口 - 丸の内出口間の供用を開始[67]。ただし、この時点では丸の内出口が終点のため利用距離が短いことから名駅入口の供用は見送られた[63]。
- 1995年(平成7年)9月19日 : 丸の内出口 - 東新町入口間の供用を開始し(名駅入口と東新町出口も供用開始[42]、名駅出口は錦橋出口に改称[68])、全線開通[42]。これに合わせて環状部の名称を「都心環状線」とした[43][注釈 7]。東片端JCTで1号楠線に接続する[69]。これを機に吹上暫定連絡路を廃止(19日午後3時をもって閉鎖[70])。これを機に通行料金の値上げが実施されたが、20日午前0時からの実施とされた[70]。
- 1999年(平成11年)11月11日 : 丸の内入口を開設[71]。
- 2007年(平成19年)
- 2010年(平成22年)9月4日 : 山王JCTで4号東海線に接続[73]。
- 2017年(平成29年)12月22日 : 路線番号を「R」から「C1」に変更すると発表[8]、準備完了後に順次変更[6]。
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出入口・JCT一覧
- 東片端JCT (1号楠線と接続)
C01 東新町出口 1号楠線との集約出口
C02 東新町入口
C03 東別院出口
C04 東別院入口
- 山王JCT (4号東海線と接続)
- 新洲崎JCT (5号万場線と接続)
C05 錦橋出口
C06 名駅入口
- 明道町JCT(6号清州線と接続)
C07 丸の内出口
C08 丸の内入口
- 東片端JCT (1号楠線と接続)
番号はウィキペディアより
関連動画
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